2025年9月27日
一人の洋画家
尾道の一人の洋画家が亡くなりました。
私はあまり知らないけれど、旦那さんは画家仲間として、尾道北高の同窓生として、よく知っていた。
骨髄異形成症候群という難病になって、何年目なんだろう・・・2年目・・
その間、同期生や知人、油絵の生徒さんが主体となって、看護のお手伝い、美術館などへ寄贈をあたり、また何度も展覧会をして、地元の人たちも何度も展覧会へと足を運んだ。
絵を見て、絵を買って・・・今、画集が出る話もすすんでいるらしい。
12年前、私たちが尾道へ帰ってきたときに、旦那の友人夫婦の計らいで、その画家さんと二組の夫婦の五人で飲み屋さんへ行った。
私は初めて会う尾道の人たち。
初めて会ったその画家さんが、旦那に言った。
「なんで高垣は尾道へ帰ってきたんだ。なんで東京におらんかったんだ・・・。あっちで頑張ればええが」
少し責めるような口調だった。
その画家さんが亡くなって、私はその時の様子と、その言葉がふっと蘇ってきた。
呑んべと言われた彼、タバコもたくさん吸った、死ぬほど絵を描いて、死ぬまで絵が描きたかった人。
彼の絵は、尾道のあちこちの自宅やお店で、いろんな場所の美術館で、静かに生きていく。
尾道の一人の洋画家が亡くなりました。賞もいろいろとられた方です。
高田三徳氏(国画会会員)享年75歳(たぶん) 心からご冥福をお祈りいたします。


小さな絵が、クアトラにもあります。